下の文章は、フリーウェアは著作権を放棄したものと考えてよいのでしょうか
、という質問に対しての、マルチメディアと著作権(2006年版)による回答です。
インターネットで入手できるソフトには無償のもの(フリーウェア)と有償のもの(シェアウェア)とがあります。後者についてはソフトを作成・提供する者が著作権をもっていることは明らかですが、前者については無償であるということで権利者が権利を放棄したと考えてよいかが問題となります。
無償で提供するということは、ユーザーが入手したソフトをいかに複製しようと、またいかに使用しようと権利者はクレームをつけない趣旨と考えられますので、一見、著作権を放棄したかのように思えます。しかし、そのように考えるべきではありません。
フリーウェアを提供するソフト作成者の真の意図としては、無償とすることによってこのソフトを広く普及・伝播させ、費用の回収および収益の獲得はバージョン・アップの際に有償にしようと図ろうとしている場合もあると考えられます。またバージョン・アップされたソフトは通常、もとのソフトの二次的著作物と考えられますので、たとえば、Aの作成したソフトがフリーウェアとして公表されたときにその時点で著作権が放棄されたものとして扱われますと、AのソフトをもとにBによって作成されたバージョン・アップ・ソフトが利用された場合に、Aは原著作物の著作権者としてこれにクレームをつけたり、使用料を請求したりすることが全くできなくなるという不利益を受けることとなります。
Aはこのような、いわば自分の首を締める結果となることを自ら容認するはずがないと思われます。したがって、フリーウェアはその作成者が著作権を放棄したものではなく、権利はいぜん持っているが、ただその行使を控えているだけだとみるのが、作成者の意図に叶った妥当な考え方ということができましょう。
……確かに、フリーウェアの作者はその著作権を放棄しないことがあります。放棄する場合と比べれば、しない方が多数派だろうという実感もあります。
そして、ソフトウェアの品質向上や開発費の回収のために、フリーウェアであったものを有償化する例が存在するのは事実であり、その判断について間違っているとは言いません。
しかしその有償化の話を、フリーウェア作者が自作ソフトに関する著作権を保持していることの説明の中で意味もなく引き合いに出し、ソフト作成者の真の意図
という乱暴かつ無責任な括り方をしてしまうのは、これはとんでもない事です。
シェアウェアにはシェアウェアの、フリーウェアにはフリーウェアの意義があり、作成者はそれを選んだ上で開発・公開をしているはずです。だから、すべての作者がシェアウェア的な志向である(か、そう成り得る)と断じるのは双方に対して失礼極まりなく、そのような説明をして作成者の意図に叶った妥当な考え方
と結んでしまうことは、ソフトウェア作者への中傷行為であると考えます。
あるいは、有償にしようと図ろうとしている場合もあると考えられます
……などと回りくどく不明瞭極まりない書きかたをするくらいなら、その段はいっそ削除すべきです。あるかどうかも分からない物に対して何が真の意図
か。
件の文書が示しているのは、「二次著作物に対して原著作者がクレームを付けることは可能であろうから、著作権は放棄していないと考えるのが自然である」という当たり前の話です。ならばそれだけの話にすればいいでしょう。小手先の修正に終始するから、文書の意図があやふやなものになるのです。
このようなおかしな文書が青山学院大学 法学部教授 半田正夫
と社団法人 著作権情報センター
の名の下に公開されるのは我慢がなりませんので、2007年からも変わらずこのサイトは社団法人著作権情報センターのアホな文書にこっそりと抗議しています。
まずはマルチメディアと著作権を読んでから戻ってきて下さい。
以下の引用(2001年当時のもの)を流し読みするだけでもいいです。
無償で提供するということは、ユーザーが入手したソフトをいかに複製しようと、またいかに使用しようと権利者はクレームをつけない趣旨と考えられますので、一見、著作権を放棄したかのように思えます。しかし、そのように考えるべきではありません。
フリーウェアを提供するソフト作成者の真の意図は、無償とすることによってこのソフトを広く普及・伝播させ、費用の回収および収益の獲得はバージョン・アップの際に有償にしようと図ろうとしている場合が多いと考えられます。バージョン・アップされたソフトは通常、もとのソフトの二次的著作物と考えられますので、たとえば、Aの作成したソフトがフリーウェアとして公表されたときにその時点で著作権が放棄されたものとして扱われますと、Bによって作成されたバージョン・アップ・ソフトの利用についてAは原著作物の著作権者としてこれにクレームをつけることができなくなるという不利益を受けることとなります。
Aはこのような、いわば自分の首を締める結果となることを自ら容認するはずがないと思われます。したがって、フリーウェアはその作成者が著作権を放棄したものではなく、権利はいぜん持っているが、ただその行使を控えているだけだとみるのが、作成者の意図に叶った妥当な考え方ということができましょう。
そのような考え方は、作成者の意図に叶った妥当な考え方
では無いと断言します。この理屈で言えば、自分が使う為に作ってみたソフトを気まぐれや善意で公開した人間も、費用の回収および収益の獲得
を考えている事に、つまりは守銭奴という事になってしまいます。
そもそも、当サイトで公開しているようなソフトもフリーウェア
ですが、こんな物で将来的にカネを取れる筈がありません。こんな物を有償にしたとして、誰が利用者になってくれるでしょうか?
また、自らの作成したソフトの質の向上などを目的として、ソースコードを公開しているソフト作者も大勢居られます。そういった方は、他のソフト作者によるバージョン・アップ・ソフト
の公開を歓迎こそすれ、クレームをつけ
ているような事はありません。
現実を全く見ていないこのような文章を青山学院大学 法学部教授 半田正夫
と社団法人 著作権情報センター
の名の下に公開しているというこの行為を、自分はフリーウェア作者への中傷行為と判断しています。
よって当サイトは、この社団法人著作権情報センターのアホな文書にこっそりと抗議しています。